おはようございます。倫子(ともこ)です。

10月31日に脱穀した学校田のこと。
ずっと書こうと思いながら延び延びになっていました。

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南原小学校の5年生が毎年田植えと稲刈りをしています。
稲刈りの後くいがけを作るところまで児童はやるのですが
脱穀はここ数年うちでやっています。

今まで学校田の脱穀はなぜか私のいないときにやっていました。
私は今年初めてやりましたが、こんなに楽しい脱穀は今までありませんでした!

小学生が手刈りして作った稲わらの束は太さがバラバラ。
稲わらで束を縛るのはけっこう難しいので
縛ったつもりなのでしょうけど、ほどけているものもありました。

その一つ一つから子供たちががんばって稲わらを縛ろうとしている様子が想像できて
思わず笑ってしまいながらの脱穀でした。

個人的な気持ちから言うと、
脱穀まで児童に立ち会って欲しいのですが
脱穀そのものは機械でやってしまうのでしかたないのかな。
大人が3人いれば充分だものね。
横木を片付けたり棒を運んだりする細々とした仕事があるし、
お米や稲わらをトラックに乗せるのは大変だけど
「終わったー!」という充実感があって
収穫の喜びがひとしおだと思うのになぁ。
他の授業もあるから、そんなに時間が取れないのだろうしね。

何はともあれ、
食育の大切さが昨今で言われていますけど
大人が普段している仕事に子供が携わることで
大人が喜びや新鮮さを感じさせてもらうことがあるのだと思いました。

食育という言葉はどこか苦手です。
自分も使ってしまうことがあるけれど、
大人の自己満足感が漂っていて、きれい過ぎる響きだと思います。

子供の教育はとても大事で、
教えることや体験させることは必要なことだと思います。
牛を育てていると
「生き物から食べ物をいただく感謝の気持ち」「命の大切さ」を教える場として
牧場見学を求められることがあります。
そういう風に牧場の意義を考えても良いのですが
牛を飼っている暮らしというのは、実際淡々としています。
命の重さを語れる人もいるのでしょうけれど
私はそういう人間ではないし、そうなりたいとも思っていません。

大人になると、きれいごとを言ってまとめようとする人が多いと思います。
「こうやって食べ物は育てられるんだよ。だから大事に食べようね。」
と、余計なことまで言っちゃう。
でも、何も知らない子供たちはもっと純粋なのだから
それぞれが感じるままに自由に受け止めてもらえたら良いと思います。

稲刈りした子供たちはいつかこの体験を忘れてしまうかもしれない。
それでも、田植えして稲刈りしたそのときは
一生懸命だったに違いないだろうから
良い体験をしたね、と声をかけてあげたい。

そんな気持ちになったのでした。