牛が亡くなるときに思うこと
「食べるために飼ってるのでしょう?かわいそう!」
「米沢牛を育てています」と言うと
たまに言われるのが「お肉にするのでしょう?かわいそう!」
大切に育てる牛を食べるというのはかわいそうではないの?という疑問です。
たしかに…かわいそうです。
生きるということは残酷だと思うことがあります。
全てのものは食べられるために存在しているのではないはずで、
お米も野菜も、
自分たちの子孫を残すために実っているものを
私たちはいただいて食べているのだと思います。
お肉は動物の命を絶つことで食べられるのだから
なおさら人間のエゴを感じます。
そう考えて、お肉を口にするのをやめてしまう方もいるかもしれません。
けれども、
お肉を食べて「おいしい!」と思う方も多くいませんか?
たくさん食べて欲しいなどと言うつもりはありません。
その「おいしい!」と思う気持ちも大切にして良いと思うし、
その味わいをみなさまに感じていただきたいから、
私たちは米沢牛を育てています。
病気で牛が死んでしまったとき
牛を育てていると必ず別れが来ます。
我が家の牛は大半が米沢牛となるので32か月齢を過ぎると出発していきますが、
その前に病気でなくなることがあります。
牛舎からいなくなる。
死んでいく。
それだけ考えれば、
お肉になるのも病気で亡くなるのも同じように思われるかもしれませんが、
これは全く違います!
私たちは牛の命をいただくことがわかって仕事をしています。
ですので「おいしい!」と言って食べてもらうことが
その牛への感謝の気持ちだと考えています。
この考えもエゴだと思いますが、
牛へ自分たちの気持ちを込めて育てているし、送り出しているのです。
病気で死んでしまった牛はお肉となることはありません。
私たちは預かった命を無にしてしまったような脱力感に襲われます。
「おいしく食べてもらえなかった牛は成仏できない」と
我が家では話すことがあります。
我が家の仕事は
大切に牛を育てて、
みなさまのもとへ米沢牛としてお届けすること。
病気で逝ってしまった子には申し訳ない気持ちでいっぱいです。